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「宮崎の釣りを楽しむ」にようこそ。

このサイトを運営しております、katohidetoshiと申します。

当方の釣り歴などプロフィールをお伝えいたします。
ご覧になって頂けますと幸いです。

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出生

昭和42年6月11日、宮崎郡清武町(現宮崎市清武町)に誕生。

当時は自然豊かな田園地帯で、野池や清流など、魚釣りには適した環境だったと思います。

※現在、清武町は宮崎市と合併し、学生の街、そしてベッドタウンとなりました。
昔の河川や野池などは、かなり姿を消しています。

幼少期~小学生

いつ頃だったか忘れましたが、物心ついたときから釣り竿を握っていました。

釣り堀で鯉釣り、川でイダ(ウグイ)のバクダン釣りなど、父親に連れられてあちこち釣行したのを、おぼろげながら覚えております。

また、小学校2年生の時、父親の転勤で須木村の内山小学校に転校しました。

※ここ須木村は、カブトムシやオオクワガタ、そしてオオムラサキのパラダイスでした。当時の借家の隣には、中学校の理科の先生が住んでおり、チョウチョの標本作りを習いました。今でも、チョウチョの標本が実家に飾ってあります。

このとき、エノハ(ヤマメ)の一本釣りを友人と楽しみ、父親は仕掛けで鰻など捕まえ、川の幸を楽しんだ記憶があります。

小学校高学年になると父親に連れられ、大淀川で鮎の友釣りや転がし釣りを経験しました。

また、タテアミで鮎を捕まえ、網の目にかかった鮎を必死で外していた記憶があります。
天然の鮎は、スイカのようなにおいがしたのが、当時の思い出です。

中学生

ここでは、中学生の頃の思い出をお伝えします。

※画像は、日南海岸に位置する鵜戸神宮です。
駐車場から神宮まで歩いていくのですが、この途中でサザエのつぼ焼きを七輪焼きで売っておりました。

当方は、サザエのつぼ焼き、大好物でございますが、幼少の頃から鵜戸神宮のサザエのつぼ焼きで味を覚えたのは間違いないです。

今でも、たまに生きサザエを購入しては、自宅の魚グリルでサザエのつぼ焼きを食し、幼少の頃を思い出しています。

当方の影響で、妻も、サザエのつぼ焼き、が好物になったようです。

地元の川で素潜り

中学生にもなると、友人達と清武川の上流で素潜りなどしておりました。

友人の作った水中銃で、川底の岩のエグレにいる鯉を突いてみましたが、固いうろこを貫通せず、群れごとどこかに逃げていくのを覚えています。

結局捕まえたのは、水中に沈めた仕掛けに入ったオイカワやハゼなどで、串にさして焼いて食しておりました。

ヒラマサフィーバー、でも私は小型しか釣っていません

また、この頃は、かつてのヒラマサフィーバーの時期で、地磯(堀切峠~巾着島軍艦~旧サボテン園下~鵜戸神宮下)で大型のヒラマサが釣りあげられていました。

当時はカーボンロッドが出始めた頃で、まだ普及もしておらず、多くの釣り師がグラスのぶっとい竿を振り回していたのを見た記憶があります。

実家の近くのサンクマール下でも、その当時フカセ釣りにヒラマサがヒットしたことがあります。
捕れるのは40cmに満たないものばかりで、一瞬で秒殺です。

※今は、黒潮が沿岸から逸れているらしく、以前のヒラマサはどこに行ったやらです。

ただ、ヒラマサ釣りをする方が身近にいなかったため、父と近所の方に連れられ、寒ボラ釣りに時々行っておりました。

今から数十年前、当時の寒ボラは身に臭みが全くなく、とても美味でした。冬の楽しみと言えば、寒ボラの刺身でした。

寒グロ釣りにもカゴ釣りで挑戦しておりましたが、当方にはあまり釣れませんでした。
近所の方からおすそ分けで頂いておりましたが、寒グロの刺身もとても美味であったです。

高校生

この頃は、進学校に入学し釣りをした記憶がありません。ブランク状態といえましょう。

地元で大学生

高校卒業後、一浪して地元の大学に進学。しかし、大学3年まで釣りには全く興味がなくなってしまいます。

地元のバイトが忙しく、稼いだお金は、コンパや飲み代に消えていました。

マリアとKーTENとの出会い

大学3年生の頃、重心移動ルアーの元祖?マリアとKーTENを知ります。

水産学部の友人から、面白いルアーがあるとの話を聞き、ルアー釣りやったことがないので、やってみようとなります。

当時は、宮崎でアカメ人気が沸騰しており、大学生でアカメを釣り上げ標本にした人もいます。
※現在、宮崎県でアカメは絶滅危惧種となり、釣り禁止です。当時の乱獲の影響でしょうか。
残念です。

当方は、汽水域での釣りをしておらず、もっぱら地磯でヒラスズキに没頭します。
地磯には海藻がびっしり状態で、今のような磯焼けもなく、よく滑って転んだ記憶があります。

例年、堀切峠付近には12月~2月に大型が産卵のため接岸します。海が荒れる度、地磯に出かけてはヒラスズキを狙っていました。
地元には、ヒラスズキの大型を狙う専門の餌釣り師がいて、宮崎市で2月頃、霜がおりて霧のでるような早朝に大型が釣れる、と聞いたことがあります。
その名人の釣った大型ヒラスズキの魚拓を、釣具店でたまに見ましたが、鯉のぼり?のように当方の目に映っていました。

当時のタックルはいまほど優れてもなく、さらに腕の悪さ?により、ヒラスズキがヒットしても取り込めたのはごく一部だったと思います。

今でも、ファーストやポップクイーン、ブルーオーシャンなど、ヤフオクでデッドストックを収集し、当時の思い出に浸ったりしております。

※この頃、ヒラスズキの居場所を覚えました。洗濯岩のスリットや大きめの穴の中など、想像もしないところに潜んでいることを知り、ある意味ショッキングでした。

現在、ほとんどポイントがつぶれてしまいましたが、それでも時々、当時と同じポイントでヒラスズキが釣れることがあります。

その後、大学卒業とともに大阪就職となり、釣りとは縁の無い生活になります。
釣り道具は実家の物置においたままです。

帰郷

大学の卒業と同時に大阪の会社に就職したものの、結局は退職し宮崎に帰郷しました。

釣りの師匠との出会い

たまたま青島観光に出かけた際、地グロを釣っている方を目撃し、磯釣りを久しぶりにやってみるか、となります。

早速釣り道具を購入しますが、仕掛けも適当で、コッパグロが釣れれば良い方、ヒラスズキも何だか面倒くさいな、と中途半端です。

そんなとある日、缶ビール飲みながら、ホームグラウンドのサンクマール下で適当に釣りをしていると、見知らぬ方が微笑んで「あんた、一体何してるの?」と話しかけてきます。

「あの、釣りです….」と返事をすると、大笑いで「これは、釣りとは言わんよ!今度、釣りに連れて行ってやるから、連絡先を教えて」となりました。

この方、実は釣りの達人で、後の釣りの師匠となります。

確か、連絡先を伝えた後、鵜戸神宮下でメジナのフカセ釣りをしました。
(大した道具もなかったので、貸してもらいました。)

結局、釣りをしながら打ち解け、師匠の弟子入り。釣りの師匠は、沖縄出身で戦争の時に疎開して宮崎に来られたとのことでした。
また、当方がお世話になる前は、宮崎シブクラブに在籍しており、底物専門だったようです。

それからというもの、時間があれば南郷~串間で石鯛釣りを手取り足取り習いました。

結果は、サンバソウとイシガキのみでしたが、当方の隣で次々と石鯛を釣り上げる師匠を見て、なんでこんなに釣れるんだろう?と思ったりしてました。

同行を重ねるにつれ、釣りの基本ともいえる、魚の季節の行動パターンや沖合を流れる黒潮の影響、そして有名な瀬の海底の状況(数十m下)まで、何となくではありますが覚えることができました。

釣りの師匠はスキューバの免許を持っていたため、有名な瀬周りは潜って確認していると言っておりました。

沢山のアドバイスのおかげで、石鯛竿の竿先に伝わる感触から岩のとがった部分や落ち込みなど、とらえることが出来るようになり、今更ですがとても感謝しております。

※現在は、連絡先も分からなくなり、どこにいるのか不明です。

釣り研FG宮崎に入る

確か20代後半で、ダイワのテスターと知り合うことが出来、その方のすすめで釣り研FG宮崎に入りました。

釣りの知見が広まりましたが、何故か人と競うことが気になりつつあったのも正直な記憶です。

そらから数年がたち、現妻との交際が忙しくなり、またもや釣りから離れてしまいます。

結婚し子供が生まれ釣りに行くお金と暇なし

28歳で結婚しましたが、出産と育児、そして父親の看病などで釣りに行く暇がなくなってしました。

さらに、戸建て購入と子育てでお金もかかり、釣行に費やす資金も時間もなくなってしまいます。

ただ、当時の職場で釣り部を発足し、初代部長として活動したのを覚えています。

※といっても宮崎港や大淀川河口など近場メインでした。たまに、都井岬や島の浦などに宿泊付きで釣行しましたが、どちらかというと宴会やコミュニケーションが楽しみ?であったような気もします。

それはそれで楽しかったです。

子供2人が大学卒業、早期リタイアし釣りの時間をようやく確保

2021年、下の娘が社会人となり、子供の手が離れました。当方も早期リタイアし、ようやく自分の時間を確保できています。

以前のように魚が沢山いるわけでもなく、釣り人口も増え、ゴミや釣り禁止場所などの問題もあるため、魚を釣ること自体難しくなっているようです。

このような状況ですが、無理をせずに釣りを楽しみたいと思います。

お金をかけず自然に優しい釣りが目標です

以前は、人と競い合う釣りなどしていましたが、これからは心に余裕を持って、自然に優しい釣りを目標としたいです。

なるべく釣った魚はリリースするようにしておりますが、魚を傷つけていることには変わりません。自然を損なわないような釣りは、実は難しいのではないかな、と感じています。

こちらのサイトを通じて、宮崎の釣りの楽しさや自然に関する情報を発信できますと幸いです。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

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